あなたはそれを 知っていたと思っていたよ

恋人と家族の話しをしている時

「お兄ちゃんも逃げちゃえばいいのにね〜」

と言ったら

「逃げたなんて言葉使わなくていいでしょ。君も逃げたわけじゃない。子どもが進学や就職のために親元を離れるのは自然なことだよ。」

と言われ、なるべくいつもの声で、そうだね と返したけど

ほんとは泣きそうだった。嬉しくて。


私の家族は離婚したりなんだり少しややこしいことがあって、私は母と2人暮しをしていたのだけれど、

女の二人暮らしはどうにもこうにも息がつまるし、

住んでいるところが田舎で若者として単純な都会への憧れがあり、

それから当時の好きな人(現在の恋人)が東京に住んでいたので(正確には千葉だったけど…)

大学進学にかこつけて上京しました。一年ほど前に。


そんなわけで、東京に逃げてきた という言い方をよくしてしまう。

田舎とか母とかその他の親類とか、色んなものから逃げてきた。


たぶん、私のなかには

「両親の離婚とか、母子家庭とか、田舎暮しとか、別に珍しくも不幸なことでもなかったけど、私はその生活が嫌だったから、頑張って頑張って東京にきたんだーい!誰か認めて!褒めて!」

って気持ちと

「でも、別に父や母や育った土地が本当に嫌いなわけじゃないし、母に寂しい思いをさせたいわけでもないんだよ…」

っていう気持ちがあって、

恋人の言葉は、どちらの気持ちも(特に後者のほうを?)なんとなく肯定している…ような気がしたから嬉しかった…のかもしれない。


実際恋人がどんな気持ちでその言葉を言ったのかわからない。でも私は私の勝手な解釈で、勝手に幸せになったりする。

最近そういうことをよくしていて、ああ恋だなあと思います。

そしてこういう時にはいつも江國香織さんの あの日母は台所にいて という詩を思い出す。

一部抜粋

「あなたはそれを しっていたのではなかったの?

たったひとりで生まれてきたことを

わけもわからず それでも生きていたことを

ほめてくれたのではなかったの?」


子どものとき、この詩を読んだときは、いつか自分にも すべて知っていてくれてる人が現れるのかな と思ってたんだけど

これはそういう詩でなかったなあ、やはり。

知っていてくれてるのかもしれない、という錯覚が恋なのかな。

すみれの花の砂糖づけ (新潮文庫)

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